ミッション

Mission

障がい者・難病者のご家庭を
豊かにする。

エンタメやビューティを通じて、
心を豊かに且つ経済的な側面からも
全ての人たちがフラットに生きていける
社会を創ります。

ビジョン

Vision

美容の持つチカラで、
就労困難者の環境を整える。

障がいや難病を持つ方々、
そしてそのご家族にとって
就労できる場所というのは、
まだまだ限られた業界に偏っています。
そういった就労が困難な方々が、
ビューティー業界で活躍できる世界を
目指しています。
2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会の
選手村にて活躍した
「車いすネイリスト」を育成してきた実績を基に、
ビューティを仕事にしていくための
ネイルレッスンやエステレッスンを提供する
環境を整えていきます。

ご挨拶

Greeting

株式会社ココダイバーシティ・エンターテイメント 
代表取締役 

弊社は2020年6月1日、フリーマガジン「ココライフ女子部タレント部」より事業移管し設立致しました。
当時はコロナショックでエンターテイメント業界が影響を受けはじめていました。 その中で、東京2020オリンピック・パラリンピック大会は大勢の関係者のご尽力にて1年延期で開催されることとなり、弊社所属者からも大勢の仲間たちがエンターテイメント参加することができました。
一生の思い出をありがとうございました。

障がいや難病を持つ方々がエンターテイメント業界で普通に出演することを目指し、オーディション応募者も延べ1650名を超えております。所属者は日々レッスンに励み発信し続けています。パラロスやコロナショックもありますが、SDGs、Wethe15も浸透しつつありお陰様でご依頼は途切れることなくいただいております。

2021年11月、東京都小池百合子知事より「東京都新条例ソーシャルファーム認証企業」として授証。「社会的企業」と認められ表彰されました。

株式会社ココダイバーシティ・エンターテイメント(東京オフィス) | 認証ソーシャルファーム事例紹介ページ | 東京 SOCIAL FIRM (tokyo.lg.jp)

その反響もあり東京都の企業団体、メディアからも毎日のようにオファをいただけております。
 つぎは2025年大阪関西万博に向けて、我々は大きな計画を進めています。 
「空飛ぶ車いす構想」
「チャレンジドキッズ&マムの在宅就労」など、 
TEAM EXPO 2025公式サイトで「共創チャレンジ中」です。 
50年に1度の万博です。
次世代に向けて、ご支援ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

【共創チャレンジ】
『空飛ぶ車いす』 構想チャレンジ|TEAM EXPO 2025 | CHALLENGE
Wanpaku 【Japan Paralym Beauty Assosiation】|TEAM EXPO 2025 | CHALLENGE

会社概要

Company

会社名株式会社ココダイバーシティ・エンターテイメント
代表取締役
資本金10,000,000円
所在地本社スタジオ 大阪府摂津市千里丘東3-8-21
東京OFFICE 東京都品川区北品川1-2-10
広島OFFICE 広島県広島市西区己斐本町1-8-28
福岡OFFICE 福岡市中央区桜坂3-1-14
事業内容芸能プロダクション、タレントマネージメント、養成スクール、グッズショップ、音楽制作、著作権管理、ライブ制作、SNSコンテンツ制作等、エンターテンメント業務全般
関連会社一般社団法人日本パラリンビューティ協会
https://www.paralym-beauty.jp/
主な取引先、記事掲載、番組出演メディア
官公庁・東京都  ・新宿区
・千葉市  ・佐賀県
調査会社・株式会社日経リサーチ  ・株式会社ミライロ
民間企業・ヤマハ発動機株式会社   
・YKK株式会社
・三菱地所株式会社     
・大日本印刷株式会社
・株式会社DNPコミュニケーションデザイン
・株式会社丸井グループ、株式会社 丸井(マルイ)
・清水建設株式会社     
・イオングループ  
・リフォームスタジオ株式会社
・サーチコア株式会社
・花菱縫製株式会社     
・パーソルチャレンジ株式会社
・日本リユースシステム株式会社
放送局・メディア・日本放送協会(NHK) ・日本テレビ放送網
・TBSテレビ      ・テレビ東京
・中京テレビ放送    ・広島テレビ放送
・サンテレビジョン   ・読売新聞
・朝日新聞       ・毎日新聞
・電通アイソバー株式会社・ヤフー株式会社
大学・専門学校・東京大学   ・早稲田大学
・実践女子大学 ・文化服装学院
公益団体・日本財団
・公益社団法人東京都障害者スポーツ協会
・一般社団法人 国際せきずい損傷リハビリテーション協会 
・一般社団法人スポーツオブハート
他多数

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ピアニスト / 作曲家 / 写真家
中村天平
1996年卒業LIVE合宿(山中湖)

肉体労働に明け暮れる毎日で音楽には携わってなかった16歳、
その時に人生を変えたいと思って入った音楽専門学校。
そこが自分の人生を変えてくれた。
その時、校長先生をしていたのが大倉先生。
今でこそそういう形態の学校が増えたが、その当時は革新的なことだった。
だからこそどこにも行き場のないハミダシ者的な若者たちの唯一の受皿にもなり、僕もその中の1人。

あの時の出会いがあったからこそ、今世界中で活躍できる自分の現在がある。
何事も新しい道を切り開くのは、とても大変なことで、リスクが伴うが、だからこそやりがいがある。
そういう意味でも僕も大倉先生も人生に対して挑戦する姿が同じなのでとても共感できるのだと思う。
そういう昔話に花を咲かせながら老人になっても飲み合える関係でいたい。

Tempei Nakamura

 経歴

Shinzou’s history

1965年大阪生まれ
近畿大学卒業後、小澤音楽事務所大阪支社ウエストポイント(WP)の正社員として新卒入社。
自身も忌野清志郎さん、松任谷由実さんに憧れバンドマンであったが、裏方に転身。
1988年佐川満男さん中村泰士さんの営業マネージャーとして23歳から業界スタート。
世はバブル時代。
芸能界は催事イベント、ディナーショーで大盛況。Mr.マリックさん「きてます」時代です。
マネージャー、舞台監督、ステージ演出、アシスタントプロデューサーを経験し、レゲエ野外コンサートなど年80本のショーステージ・イベントプロデュース業務中心に従事。
1989年歌手・故桑名正博さんが東京より大阪に移住。
小澤音楽事務所系(MOSS)であったことから、WPの預かりとなり私が担当になりました。
内田裕也さんプロデュース大晦日カウントダウンライブ「New Year Rock Festival」の関西版を立ち上げることとなり、第一回からプロデューサーとして立ち上げメンバーとなる。
ある番組の番宣でご一緒した、佐川満男さん内田裕也さん桑名正博さんの対談は、今も記憶しているほどの強烈な「昭和のロック史」トークであり、私の音楽観も変わることとなりました。
この時、島田紳助さん初映画監督作品「風スローダウン」に、私も出演(チンピラ役w)することとなり、貴重な経験をさせていただきました。
桑名正博さんの当時の付き人、阿部君(後の桑名オフィス代表)、私の部下であった石山さん(後の内田裕也事務所社長)などと桑名さんのライブや営業を回っておりました。
小島ヨシノブさん、故妹尾隆一郎さんのアコースティックトリオでした。
1997年頃高卒資格とロックを教える音楽専門サポート校、東京自由学園大阪校の初代校長を私が務め、テレビ局とタイアップし西日本からの入学者が20人から、80人、160人、200人と順調に増えていき、大阪ミナミのアメリカ村のビルを一棟借りする勢いでした。私も2000人は保護者面接したと思います。
芸能部を創設し、後にアイドルデビューする愛内里菜さん、中村天平くんが1期生として育成レッスンに通い、ASAYAN全盛期の時代は華々しいスクール運営でした。avexと関西テレビと連携しa-nation野外コンサートの招聘や、恐竜博DINO ALIVEの運営プロデューサーなど大型フェス開催もしてきました。
2011年その後、ビューティ業界にも進出し大阪心斎橋にネイルサロン、ヘアサロンの店舗展開をしていきます。そこで車いすのお客様との出会いが現在の活動原点となりました。
「ネイリストになりたいんだけど、スクール入学許可が降りない。」
何校かの美容専門学校理事長と面会し申し入れしましたがNG。ならば自身で開校しようと考えスタートするのです。
大阪府立特別支援学校も5校ほど美容出張授業に出向き、仕事の選択肢を学んでいただきました。
「チャレンジド・ネイリスト」という呼称で全国からネイリスト希望者を募りオンラインなどで学んでいただき、アビリンピック競技会にも参加。
2013年東京オリンピックパラリンピック競技大会が決定。
ここから選手村でのチャレンジドネイリストボランティア採用への険しい道のりが始まるのでした。

つづく

ココダイバーシティ・エンターテイメントグループ

CoCo diversity entertainment GROUP